「 "中央Flash情報センター" 2005-11-16 」から


私の目の黒いうちは、私の作品には断じて挿し絵など入れさせない

これは、小説家フローベールの言葉です。
小説家の想像した世界を押し付けるよりも
読者の自由な想像(=テクスト)を生かすべきであるという考えなのでしょう。
このような理論をテクスト論といい、
文学評論の間では現代でも非常によく重視されています。


さて、話題をFlashに置き換えます。
Flashは、
映像を主体としているため文章と比べテクストを生かすことが困難です。
また、Flashには文字がつきものですが、
「文章は、いまだ他のメディアをサブカルチャー(=下位文化)
呼ばしめるだけの存在感を持つ」

と、文学に関するレポートにある通り、
文章独自に存在するコンテクスト(状況、背景、文脈などの詳細な表現)の大きさは、
多大な影響力があります。
その存在を無視せずに、Flashと文字はどのように融合すればいいのか?
という問題も発生します。

そんな中、Flash・動画文芸祭は今年で2度目になり、
大きな盛り上がりをみせ終わりました。
何気なく見ていたFlashにはどのように文字が溶け込んでいたのか?
それをあれこれ検証してみました。


ここで、今までの流れをまとめてみましょう。
とりあえず、文章にFlashを挿入することで変わることを2つ程挙げてみました。

細かく具体的な表現ができるようになる
テクストが制限されてしまう
映像により、文字だけのときよりもリアルな表現ができる
文章独特の表現の印象が薄くなる

こんなところでしょうか?
次回からこの2つを念頭に置きながら
Flash・動画文芸祭の作品を数点紹介していきます。


参考資料
文学におけるマルチメディアとインタラクティビティの可能性について inserted by FC2 system